わろてんか|風太のモデルの林正之助の武勇伝が凄い!吉本のドン

 

朝ドラ『わろてんか』は、吉本興業の創設者の吉本せいと泰三がモデルとなっている物語。

 

彼らがモデルとなっているてんと藤吉が様々な困難の末に、一大お笑い王国を築いていく

姿が描かれます。

 

しかしリアルの吉本興業の最大の功績者と言えば、ドラマの風太のモデルとなっている

林正之助(しょうのすけ)でしょう。

 

彼は吉本興業の中興の祖ともいえる人物で、平成3年(1991年)に92歳で亡くなるまで、

吉本の実質的な最高責任者として君臨してきました。

 

そのため「吉本のドン」とか「Mr.吉本」などとも言われた名物社長でもありました。

 

そんな正之助ですが、吉本興業を成長させるまで、数々の逸話や武勇伝がある人物です。

 

このあたりをご紹介いたします。

 

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風太のモデルの林正之助の武勇伝が凄い!吉本のドン

 

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林正之助

 

 

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数々の「汚れ役」を担ってきた

 

正之助は19歳の時に姉の吉本せいに誘われて吉本興業部入りしていますが、

吉本の汚れ役を一手に引き受けています。

 

当時の興行界と裏社会の関係は現在とは比較できないほど根深く、さらに吉本興業部は

数々の買収を重ねてのし上がってきた企業なのでトラブルも多かったと言われています。

 

そんな中、正之助はたびたび組の事務所に乗り込んでいき、問題を解決していったと

言われています。

 

若いころからかなりのコワモテで知られた正之助ですが、それを如実に示すエピソードが

昭和2年(1927年)の松竹による引き抜き未遂事件です。

 

この年に吉本と松竹は合同で漫才大会を開催したのですが、2度とも大成功に終わります。

 

これを契機に松竹は漫才の商品価値を知ることになり、吉本の芸人たちを引き抜きに

かかりました。

 

この動きを知った正之助は激怒して、なんと松竹の社長室に直々に乗り込んで社長を脅しています。

 

当時の松竹は既に一大興行会社で、社長の白井松次郎は50歳を超えていました。

 

そこへ28歳だった正之助が乗り込んでいき、「お前の命をとる」とまで脅しています。

 

松竹の白井社長は正之助の気迫に押されて、「今後、吉本の芸人を引き抜かない」旨の

一筆をとられています。

 

関東大震災の際に救援に向かう

 

大正12年(1923年)に関東大震災が発生した際には、吉本興業部は関東の芸人や落語家

たちに向けて援助物資を送っています。

 

この際に関東の芸人たちとのコネクションづくりをしたいという計算がありましたが、

救援物資を持参して首都圏に向かったのは正之助でした。

 

大震災から1か月後のことで、東京や神奈川の首都圏は未だに焼け野原でした。

 

そんな中、2人の支配人とともに自身の危険を顧みず、ひとりずつ目的の芸人たちを

探し出して、食糧や毛布などの救援物資を渡しています。

 

これによって吉本の高座には関東の著名な落語家や芸人たちが出演することになりますが、

なかなかできることではありません。

 

人材発掘の手腕

 

正之助の大きな功績のひとつとして人材発掘の手腕が挙げられます。

 

当初は「芸がわかっていない」などと落語家たちから冷ややかな目で見られていた

彼ですが、独自のきゅう覚を持ち、またそれを信じていました。

 

その結果、大正時代の中期に仕掛けた安来節がヒットして全国的なブームを巻き起こす

ことになります。

 

さらに大正末期に仕掛けた漫才ブームは安来節を遥かに上回るほどの空前絶後の

大ブームで、現在の漫才人気のルーツにもなっています。

 

その際には花菱アチャコや横山エンタツ、ミスワカナら後にスターとなる人材を

数々と発掘しており、その手腕も敢然と輝いています。

 

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卓越したリーダーシップ

 

正之助は気性が荒い面があり恐れられもしましたが、その反面卓越したリーダーシップの

持ち主でもありました。

 

吉本興業の社長は名目上は吉本せいが昭和18年(1943年)まで務めていますが、

実際には昭和10年(1935年)頃までにほとんどの実権は正之助に移っていたと言われています。

 

そして戦前には関西圏の演芸界を席巻した吉本興業ですが、戦局の悪化による興業の自粛

や芸人の召集などによって、その王国は崩壊に向かいます。

 

そして終戦後に至っては演芸界からもいったん身を引いており、経営的にもかなり苦しい時代がありました。

 

そんな中でも、進駐軍向けのキャバレーや映画館、ボウリング場と世の流れを見極めて、

あの手この手で生き残りを図っています。

 

後に再び演芸界に復帰して復活する吉本興業ですが、そんな激動の時代を乗り切ったのも、

正之助のリーダーシップがあったからでしょう。

 

ドラマの風太の林正之助の功績をまとめていましたが、その反面で山口組との黒い交際

レコード会社の乗っ取り未遂で逮捕歴があるなど、色々と問題のある人物ではありました。

 

また横山やすしを非常に可愛がっており、数々のトラブルにも関わらず、彼を擁護した

ことでも知られています。

 

最終的には吉本はやすしと契約解消に至りますが、正之助は断腸の思いだったはず。

 

話が少しそれましたが、正之助はかなり豪快な人物でしたし、数々のエピソードには

興味をそそられますね♪

 

彼につきましては複数の書籍も刊行されていますので、興味のある方はそちらもどうぞ。

 

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